15 短編小説 「シティライツブックストア」

   シティライツブックストア

「彼女は本当にクールなんだ。」

そう言っても、誰も僕に同意してくれない。

「彼女ってキャロラインのこと? あの太っためがね娘が?」

どうしても人は、まず見かけで人を判断してしまう。それはまあ仕方ないことだけれど、どうしてみんな彼女の目がとびきり美しいことに気付かないのだろう。彼女と話をしてみれば、彼女がこの学校の誰よりも聡明であることがすぐに分かるはずなのに。

「だって彼女いつもつまらない本ばかり読んでいて、話がぜんぜん合わないんだもの。」

女の子たちは口々に言った。

僕らはハイスクールのカフェテリアでランチを食べながら、プロム (注1) に誰を誘うか、誘われたいかという話をしていた。いつものメンバーが集まっている。学校一背の高いボブ、ひょうきんもののマイケル、超金持ちの息子のベン、そして僕らを取り囲むようにして集まるきれいな女の子たち。

彼女たちの質問攻めに合い、僕はとうとう、プロムにはキャロラインを誘いたいと白状したのだった。

僕は窓の外に目をやった。太平洋がきらきらと輝き、遠くにはゴールデンゲートブリッジが見える。

「時々考えるんだ。彼女をガールフレンドにしたら、どんな気分だろうって。」

誰に言うでもなくつぶやいた僕の言葉を聞きつけて、マイケルが大声で言った。

「こいつ熱があるみたいだぞ。キャロラインに恋してるなんて!」

冗談じゃなく、その通りだ。僕は熱があるみたいだった。彼女のことを考えると、いてもたってもいられなくなり、胸がギュッと締めつけられる。これを人は恋と呼ぶのだろうか?

彼女とはシティライツブックストアで出会った。僕が週に一度は足を運んでいるお気に入りの本屋だ。ある日、僕がいつものスポットに座り込んで選んだ本を読んでいると、ドスン、頭の上に本が落ちてきた。真っ黄色の表紙に黒い文字で “NAKED LUNCH” と書いてあるペーパーバックだった。

「ごめんなさい。」

顔を上げると、文学のクラスで一緒になったことがあるキャロラインだ。太い茶色ぶちの眼鏡、男の子みたいに短くカットされた黒い髪、”Vampire Weekend” と書かれた黒いTシャツに、だぶだぶのジーンズをはいている。彼女とは言葉を交わしたことはなかったが、クラスで時々すばらしい発言をするのに感心していた。

「やあ、君か。」

僕が黄色の本を拾って彼女に渡すと、彼女は僕の読んでいる本に目を落として言った。

「ギンズバーグ好きなの?」

「今読み始めたばかりなんだ。最近ケルアックの『路上』を初めて読んで、これが僕の求めていたものだって感じてから、もっとビートの作品を読みたいと思ってね。」

彼女の顔が一瞬ぱあっと輝いたように見えた。

「これもビートの作家よ。」

そう言って彼女はその黄色の本を僕に差し出した。

「ウイリアムズ;バロウズ。ギンズバーグと恋人関係にあったこともあるのよ。」

「へえ。」

僕は他に言葉が出なかった。ギンズバーグがゲイだったということにも少し驚いたが、彼女がそんなことまで知っていることにもっと驚いた。

「私もビート文学が好き。だからこの本屋に来るの。」

「この本屋はビートを取り揃えてあるよね。」

「この本屋のオーナーは、ずっとビート文学の作品を出版してきた人なのよ。ギンズバーグもよくこの本屋に訪ねてきたはずだわ。」

もう1年近くここに通っているのに、そんなことぜんぜん知らなかった。僕は急に恥ずかしくなって、おずおずと彼女の顔を見た。

すると眼鏡の奥の目がにこっと笑って、彼女は言った。

「ねえ、詩を詠んだことある?」

その日の晩、彼女がその本屋に近いバーで詩のリーディングをするというので、僕は彼女について行くことにした。ポエトリーリーディングというものを、僕はまだ学校の外では見たことがなかった。

「ケルアックやギンズバーグもこのバーに来たことがあるはずよ。」

そう言いながら彼女はバーの扉を開いた。

テーブル席が5つとバーカウンターだけの小さな場所がほぼ満杯になっている。

高校生がバーに出入りすることはもちろん禁止されているが、彼女はオーナーと顔見知りらしく、軽く手をあげてカウンターの向こうにいる彼に挨拶すると、一番奥のテーブルに僕を連れて行った。

「今日はボーイフレンドを連れてきたのかい?」

そう言いながら、オーナーがコーラを2つ持って僕らのテーブルにやって来た。

「今日初めて話をしたの。リーディングに来たいって言うから。」

彼女はストローの入った袋を破きながら言った。

「君も詩を書くのかい?」

オーナーが僕に訊いた。

「いいえ。」

 僕は急に自分が野暮ったく感じられた。僕が今までしてきたことは、詩を書くことに比べたら意味のないことのように思えた。学校の人気者と言われ、成績もまあまあ、放課後は友達とフットボールをしたり、女の子とデートしたり。だけど自分が本当に好きなことは本を読むことだ。いつも誰かに囲まれ、ひとりで過ごす時間がほとんどなかった僕は、1年前まで、本を読んだり、ましてや詩を書くことなんて、思いもつかなかった。だけど、叔父の家に母に頼まれた届け物をしに行った帰り道に、偶然立ち寄ったシティライツブックストアをなぜか気に入って、毎週通うようになったのだ。あそこに居ると、違う自分になれるような気がした。僕が本当になりたい自分。自分に詩が書けたらどんなにいいだろう。

詩のリーディングが始まった。まずはバーのオーナーがコメントを述べる。

「今日は先週に引き続き“旅”というテーマで、まず3人の詩人たちに詩を詠んでもらいます。“旅”というテーマは大きいので、来週も引き続きこのテーマでやろうと思います。後半はオープンマイクになりますので、みなさん詩を持ってこられた方は参加してください。それではまず、僕の友人でもある スコット  リンドバーグが始めます。」

オーナーがマイクを離れると、高価そうなビジネススーツに身を包んだ大柄な男がその前に立った。男は左胸のポケットから紙切れを取り出すと、軽く咳払いした。

 “飛ばなくなった鳥”

 男はもう何年も旅を続けていた

 ロンドン、パリからスペインの小島

 ベネチア、ベルリン、イスタンブール

 イラクからアフガニスタン、インドを経て

 中国、マレーシア、インドネシアも見た

 所有する物といえばバックパックひとつ

 新しい友人に出会っては別れていく

 写真を撮ることもほとんどなくなった

 旅が日常になっていた

 バンコクの安宿で

 ある日男は目覚めると

 荷物をまとめて

 有り金をはたいて飛行機に乗った

 故郷の街に帰るために

 男は金融街で働き始めた

 家と車を買った

 夫となり 父親となった

 あのバックパックはいつの間にか消えていた

 

 ぽつぽつと白髪が現れ始めた頃

 男は毎晩旅の夢をみるようになった

 人は移動してばかりいると何も生み出せない

 そう感じて地に足をつけることを選んだのに

 今また旅に出たくなった

 ところが今となってはそれは不可能に思えた

 抱えているものがありすぎて

 それらを失うのが怖くて

 身動きができない自分に気付いた

 旅を続けていた頃

 よく故郷の夢を見た

 故郷に戻ってくると

 旅してきた場所の夢をみる

 これは無意識の時差ぼけなのだろかと

 男は考えた

 

 羽を開くべきか

 このまま閉じているべきか

 飛べない鳥はいつまでも考え続けている

しばしの沈黙の後、長身の男は「サンキュー。」と言って、マイクを離れた。何人かの者が拍手をし、それがおさまった頃、真っすぐ垂らした黒髪が美しいアジア人の女の子が前に出てきた。中国人か日本人か僕には見分けることができない。彼女はおもむろに髪をかきあげると、アクセントのある英語で詩を詠んだ。

「海を渡ってきた

離れたとたんに憎しみという感情は消えた

愛を感じることさえあった

ずっと夢見ていたことが現実になったのに

でも今幸せじゃないよ

何かが足りない

ひどく大切な何か

それが欠けていることに

耐えられるようにはなりたくない

たとえ傷ついてもあたしは愚かであることを選ぶだろう」

客たちの反応は、あまりなかった。何も言わずに彼女は席に戻った。

僕はなんとなく彼女を不憫に思い、拍手を少し長めにした。キャロラインはマイクの方を見つめたまま、ストローの入っていた白い袋をリボンのように結んで、両手でそれをいじくっていた。

その次は、店で働いているバーテンダーと、メキシコ人の皿洗いのコンビだった。ラップで掛け合いをするらしい。

「僕はチカーノ/チカチカチカーノ

 みんながそう呼ぶから/チカチカチカーノ

 生まれ育ったのはサンディエゴ/チ チ チカーノ

 時々祖父に会いにメキシコへ行くけどやるこたあ同じ/チ チ チカーノ

 女の子のお尻を追いかけ回す/チコ チコ

 はぐらかされても追い続ける/チコ チコ

 白人 黒人 ラテンにアジアン 肌の色が違ってもやるこたあ同じ

 君のお尻をつかまえたいだけ/チコ チコ チコ チコ チカチカチカーノ

今度は皿洗いがマイクと取り、バーテンダーが節をとった。

 僕はアミーゴ/ミミミミ ミーゴ

 メキシコから砂漠を歩いてやって来た/ミ ミ ミーゴ

 生まれ育ったのは山の中の小さな村さ/ミーゴ ミーゴ

 アメリカは楽園だと聞かされていたけれど/ミーゴ ミーゴ

 来てみたら僕の村が楽園だったのだと気付いた/ミーゴ ミーゴ

 ここでやることといったら女の子のおしりを追いかけ回すだけ/ミーゴ ミーゴ

 それが僕らの現実に光を灯す唯一の真実さ/ミ ミ ミーゴ

 君のお尻をつかまえたいだけ/ミミミミ ミーゴ ミミミミミミミミ」

 会場から拍手と歓声が沸き起こった。

 テーブルでビールを片手にしていた男が立ち上がって、彼らの横へ行きマイクを取った。飛び入りだ。

「僕もチカーノ/チカチカチカーノ

 みんながそう呼ぶ/チカチカチカーノ

 僕のガールフレンドは今日はアフリカン 

 昨日はジャパニース 明日はイラン人/チ チ チカーノ

 僕らの子どもは何と呼ばれるのだろう/チ チ チカーノ

 もう人種で人を呼ぶことなんてできない/チ チ チカーノ

 それなら宗教それとも政治党派で分ける?/チ チ チカーノ

 結局この世はアダムとイヴだけ

 男と女がいるだけさ/チカチカチカーノ」

バーテンダーが切り返す。皿洗いはリズムをとり続ける。

「いまではそれもあやしいね/ミーゴ ミーゴ

 男と女の境界もあやふやさ/チチチチ ミーゴ

 妊娠した男の話聞いたかい?/チ チ ミーゴ

 神様が怒ったって無理もない/チ チ ミーゴ

 マヤのカレンダーが2012年で終わってるって知ってるかい?/ミーゴ ミーゴ

 世界が終わりに近づいてるとしたら/ミミミミ ミーゴ

 やっぱりみんなやるこたあ同じ/ミ ミ ミーゴ

 お尻 お尻 お尻 お尻/ミーゴ ミーゴ

 君のお尻にまっしぐら/チカチカミミミミチカーノミーゴ」

 僕は盛り上がりに圧倒されながら、ふとキャロラインの顔を盗み見た。太った体でリズムをとっている彼女の顔は輝いていた。

「ええ、みなさん、ありがとう。ここからは自由にマイクを取ってください。

キャロライン、君からいくかね?」

 オーナーが言った。

O.K.

キャロラインはそう言うと、僕に目も向けずにマイクの前まで行った。僕の存在など忘れているようだった。

彼女が持って来たノートブックを開くと、誰かが口笛を吹いた。彼女はその男を睨みつけ、それからオーナーの顔を見た。オーナーが頷き、彼女は言った。

「 皆さんご存知のように、いつも私の詩は辛辣すぎるので、今日は私が11歳の時に書いたものを詠もうと思います。」

 彼女は1回深く息を吸いこむと、詠み始めた。

   上海

 外国人向けホテルの最上階のバーで

 緑色のひらひらしたドレスを着た歌手が

 中国語でシャンソンを歌っている

 言葉の響きがとても美しい

 私も彼女みたいに歌いたいと思った

 中国語を勉強して

 いつかこのホテルのバーで

 緑色のドレスを着て

 シャンソンを歌おうと思った

 そこで出会った中国人のふたり組に飲茶に行こうと誘われ

 私たちは外に出た

 風がなまぬるくて

 夏の手が伸びてきているのが分かった

 これが上海を吹く風だと

 彼らは言った

 上海のホテルのバーで

 緑色のドレスを着て

 シャンソンを歌う

 それが私の夢だ

 僕はまたしても彼女にノックアウトを喰らったような気になった。どうしてまた上海なんだ?11歳でバーに行ったのか?それにその歳から詩を書いていたなんて。

 彼女は席に戻ると僕に笑顔を見せて言った。

「楽しんでる?」

「うん。君の詩もすてきだったよ。どこからあんな発想が出てくるんだい?」

「実際にあったことを書いただけよ。父の仕事に付いて、上海に行った時のことをね。」

「他にも外国へ行ったことがあるの?」

「そうね。いつも父に付いていくだけだけれど、アジアやアフリカの途上国に行ったわ。この夏は初めてひとりで旅をしてみるつもり。メキシコへ行く予定なの。」

 キャロラインに続いて、様々な人がマイクを握った。リーディングは夜が更けるまで続くような気配だったが、彼女は僕に、明日も学校があるから帰ろうと言い、バーのオーナーに挨拶に行った。彼と話す彼女の瞳は輝いている。もしかしたら、彼女は彼に恋しているのかもしれない。僕も彼と握手を交わした。

「今度来る時は、君の詩が聴けるのを楽しみにしているよ。」

彼は僕に言った。

 バーを出ると、海から吹く風が潮の香りを運んできた。春になるといつも、街はこの香りで満たされる。そして僕の胸もこの香りで満たされていっぱいになって、なぜか切なくなるのだ。今夜はいつもにまして、胸が締め付けられるような想いがした。キャロラインに何か大切なことを伝えなければならないような気がしたけれど、言葉が見つからなかった。

「今日はありがとう。」

そう言うのが精一杯だった。

「こちらこそ、来てくれてありがとう。あそこに通い始めてから2年になるけれど、誰かを連れて行ったのは今日が初めてよ。」

「ねえ、卒業したらどこの学校へ行くの?」

僕は訊いてみた。

「フランスに留学するの。もともとフランス文学にも興味があったし、私の母は父と離婚してフランスに住んでいるの。きっとシャンソンも習えるわ。」

彼女はそう言ってウインクして見せた。

「来週もまた一緒に行っていいかな。」

僕は言った。

「もちろん。」

彼女は学校で見せたことのないとびきりの笑顔で答えた。

窓の外は淡い水色の空。遠くに飛行機が飛んでいるのが見える。午後の授業では何人もの生徒が居眠りをしている。

今度のリーディングでは、僕も詩をよむつもりだ。それが書けるまで、授業に集中できそうもない。

詩を書いている途中でも、様々な夢想が僕の頭をよぎる。プロムでキャロラインと躍る自分、彼女と一緒にメキシコを旅している自分。

恋をすることは新しい自分、新しい世界を発見することでもあるのだ。どこかで見かけた映画のポスターに書いてあったっけ。

開け放した窓から、潮の香りをふくんだ風が入ってくる。僕はその風を、まるで逃してはいけない物かのように精一杯胸に吸い込んだ。窓の外の飛行機は、飛行機雲を残して空の彼方へ消えていった。>

 

注1: アメリカの高校で、学年の最後に開かれるフォーマルなダンスパーティ

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